どの相違があるのであろう。
独り貉ばかりではない。我々にとって、すべてあると云う事は、畢竟《ひっきょう》するにただあると信ずる事にすぎないではないか。
イェエツは、「ケルトの薄明《うすあか》り」の中で、ジル湖上の子供たちが、青と白との衣《きもの》を着たプロテスタント派の少女を、昔ながらの聖母マリアだと信じて、疑わなかった話を書いている。ひとしく人の心の中に生きていると云う事から云えば、湖上の聖母は、山沢《さんたく》の貉と何の異る所もない。
我々は、我々の祖先が、貉の人を化かす事を信じた如く、我々の内部に生きるものを信じようではないか。そうして、その信ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。
貉を軽蔑すべからざる所以《ゆえん》である。
[#地から1字上げ](大正六年三月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」
1971(昭和46)年3月〜11月
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
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