の垂絹《たれぎぬ》が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩《にょぼさつ》のように見えたのです。わたしはその咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪《うば》うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀《たち》を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派《りっぱ》に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科《やましな》の駅路では、とてもそん
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