隠居の身の上になっている。中洲の大将の話では、子供心にも忘れないのは、その頃盛りだった房さんが、神田祭の晩|肌守《はだまも》りに「野路《のじ》の村雨《むらさめ》」のゆかたで喉をきかせた時だったと云うが、この頃はめっきり老いこんで、すきな歌沢もめったに謡《うた》わなくなったし、一頃凝った鶯もいつの間にか飼わなくなった。かわりめ毎に覗き覗きした芝居も、成田屋《なりたや》や五代目がなくなってからは、行く張合《はりあい》がなくなったのであろう。今も、黄いろい秩父の対《つい》の着物に茶博多《ちゃはかた》の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩《ほうとう》と遊芸とに費した人とは思われない。中洲の大将や小川の旦那が、「房さん、板新道《いたじんみち》の――何とか云った…そうそう八重次お菊。久しぶりであの話でも伺おうじゃありませんか。」などと、話しかけても、「いや、もう、当節はから意気地がなくなりまして。」と、禿頭《はげあたま》をなでながら、小さな体を一層小さくするばかりである。
それでも妙なもので、二段三段ときいてゆくうちに、「黒髪のみだれていまのものおもい」だの、「夜《よ
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