ニ新田の顔を見ながら、
「とても暇にはなりませんよ。クレマンソオはどうしても、僕の辞職を聴許《ちょうきょ》してくれませんからね。」
新田は俊助と顔を見合せたが、そこに漂っている微笑を認めると、また黙然《もくねん》と病室の隅へ歩を移して、さっきからじっと二人を見つめていた、品の好《い》い半白の男に声をかけた。
「どうした。まだ細君は帰って来ないかね。」
「それがですよ。妻《さい》の方じゃ帰りたがっているんですが、――」
その患者《かんじゃ》はこう云いかけて、急に疑わしそうな眼を俊助へ向けると、気味の悪いほど真剣な調子になって、
「先生、あなたは大変な人を伴《つ》れて御出でなすった。こりゃあの評判の女たらしですぜ。私の妻《さい》をひっかけた――」
「そうか。じゃ早速僕から、警察へ引き渡してやろう。」
新田は無造作《むぞうさ》に調子を合わすと、三度《みたび》俊助の方へ振り返って、
「君、この連中が死んだ後で、脳髄《のうずい》を出して見るとね、うす赤い皺の重なり合った上に、まるで卵の白味《しろみ》のような物が、ほんの指先ほど、かかっているんだよ。」
「そうかね。」
俊助は依然として微笑
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