A水曜なら、ちょうど僕の方も講義のない日だ。それで――と、栗原《くりはら》さんへは僕の方から出かけて行くのか。」
野村は相手の眉《まゆ》の間にある、思い切りの悪い表情を見落さなかった。
「いや、向うからここへ来て貰おう。第一その方が道順《みちじゅん》だから。」
俊助は黙って頷《うなず》いたまま、しばらく閑却《かんきゃく》されていた埃及煙草《エジプトたばこ》へ火をつけた。それから始めてのびのびと椅子《いす》の背に頭を靠《もた》せながら、
「君はもう卒業論文へとりかかったのか。」と、全く別な方面へ話題を開拓した。
「本だけはぽつぽつ読んでいるが――いつになったら考えが纏《まとま》るか、自分でもちょいと見当がつかない。殊にこの頃のように俗用多端じゃ――」
こう云いかけた野村の眼には、また冷評《ひやか》されはしないかと云う懸念《けねん》があった。が、俊助は案外|真面目《まじめ》な調子で、
「多端――と云うと?」と問い返した。
「君にはまだ話さなかったかな。僕の母が今は国にいるが、僕でも大学を卒業したら、こちらへ出て来て、一しょになろうと云うんでね。それにゃ国の田地《でんじ》や何かも整理し
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