ワ活字にしたような小説だった。
 俊助はわずか十分ばかりの間に、造作なく「倦怠」を読み終るとまた野村の手紙をひろげて見て、その達筆な行《ぎょう》の上へ今更のように怪訝《かいが》の眼を落した。この手紙の中に磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ほうはく》している野村の愛と、あの小説の中にぶちまけてある大井の愛と――一人の初子に天国を見ている野村と、多くの女に地獄《じごく》を見ている大井と――それらの間にある大きな懸隔は、一体どこから生じたのだろう。いや、それよりも二人の愛は、どちらが本当の愛なのだろう。野村の愛が幻か。大井の愛が利己心か。それとも両方がそれぞれの意味で、やはり為《いつわり》のない愛だろうか。そうして彼自身の辰子に対する愛は?
 俊助は青い蓋《かさ》をかけた卓上電燈の光の下に、野村の手紙と大井の小説とを並べたまま、しばらくは両腕を胸に組んで、じっと西洋机《デスク》の前へ坐っていた。
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(以上を以て「路上」の前篇を終るものとす。後篇は他日を期する事とすべし。)
[#地から1字上げ](大正八年七月)
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底本:「芥川龍之
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