路上
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)午砲《どん》を打つと同時に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三十分|経《た》つか経たない内に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)まあ 〔Une Vie a` la Tolstoi:〕 と云う所なんだろう。
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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一
午砲《どん》を打つと同時に、ほとんど人影の見えなくなった大学の図書館《としょかん》は、三十分|経《た》つか経たない内に、もうどこの机を見ても、荒方《あらかた》は閲覧人で埋《う》まってしまった。
机に向っているのは大抵《たいてい》大学生で、中には年輩の袴《はかま》羽織や背広も、二三人は交っていたらしい。それが広い空間を規則正しく塞《ふさ》いだ向うには、壁に嵌《は》めこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてその入口の両側には、見上げるような大書棚《おおしょだな》が、何段となく古ぼけた背皮を並べて、まるで学問の守備でもしている砦《とりで》のような感を与えていた。
が、それだけの人間が控えているのにも関《かかわ》らず、図書館の中はひっそりしていた。と云うよりもむしろそれだけの人間がいて、始めて感じられるような一種の沈黙が支配していた。書物の頁を飜《ひるがえ》す音、ペンを紙に走らせる音、それから稀《まれ》に咳《せき》をする音――それらの音さえこの沈黙に圧迫されて、空気の波動がまだ天井まで伝わらない内に、そのまま途中で消えてしまうような心もちがした。
俊助《しゅんすけ》はこう云う図書館の窓際の席に腰を下して、さっきから細かい活字の上に丹念《たんねん》な眼を曝《さら》していた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だと云う事は、制服の襟にあるLの字で、問うまでもなく明かだった。
彼の頭の上には高い窓があって、その窓の外には茂った椎《しい》の葉が、僅《わずか》に空
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