ェ。」
 新田は令嬢の病室の戸をしめると、多少失望したらしい声を出したが、今度はそのすぐ前の部屋の戸を開けて、
「御覧なさい。」と、三人の客を麾《さしまね》いた。
 はいって見ると、そこは湯殿のように床《ゆか》を叩《たた》きにした部屋だった。その部屋のまん中には、壺《つぼ》を埋《い》けたような穴が三つあって、そのまた穴の上には、水道栓が蛇口《じゃぐち》を三つ揃えていた。しかもその穴の一つには、坊主頭《ぼうずあたま》の若い男が、カアキイ色の袋から首だけ出して、棒を立てたように入れてあった。
「これは患者の頭を冷《ひや》す所ですがね、ただじゃあばれる惧《おそれ》があるので、ああ云う風に袋へ入れて置くんです。」
 成程その男のはいっている穴では蛇口《じゃぐち》の水が細い滝になって、絶えず坊主頭の上へ流れ落ちていた。が、その男の青ざめた顔には、ただ空間を見つめている、どんよりした眼があるだけで、何の表情も浮んではいなかった。俊助は無気味を通り越して、不快な心もちに脅《おびや》かされ出した。
「これは残酷《ざんこく》だ。監獄の役人と癲狂院《てんきょういん》の医者とにゃ、なるもんじゃない。」
「君のような理想家が、昔は人体|解剖《かいぼう》を人道に悖《もと》ると云って攻撃したんだ。」
「あれで苦しくは無いんでしょうか。」
「無論、苦しいも苦しくないもないんです。」
 初子は眉一つ動かさずに、冷然と穴の中の男を見下《みおろ》していた。辰子は――ふと気がついた俊助が初子から眼を転じた時、もうその部屋の中にはいつの間にか、辰子の姿が見えなくなっていた。

        二十七

 俊助《しゅんすけ》は不快になっていた矢先だから、初子《はつこ》と新田《にった》とを後に残して、うす暗い廊下《ろうか》へ退却した。と、そこには辰子《たつこ》が、途方《とほう》に暮れたように、白い壁を背負って佇《たたず》んでいた。
「どうしたのです。気味が悪いんですか。」
 辰子は水々しい眼を挙げて、訴えるように俊助の顔を見た。
「いいえ、可哀《かわい》そうなの。」
 俊助は思わず微笑した。
「僕は不愉快です。」
「可哀そうだとは御思いにならなくって?」
「可哀そうかどうかわからないが――とにかくああ云う人間が、ああしているのを見たくないんです。」
「あの人の事は御考えにならないの。」
「それよりも先に、自分
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