ラ《エフィシエント》じゃないに違いない。が、その差別は人間が彼等の所行《しょぎょう》に与えた価値の差別だ。自然に存している差別じゃない。」
 新田の持論を知っている俊助は、二人の女と微笑を交換して、それぎり口を噤《つぐ》んでしまった。と、新田もさすがに本気すぎた彼自身を嘲るごとく、薄笑の唇を歪《ゆが》めて見せたが、すぐに真面目な表情に返ると、三人の顔を見渡して、
「じゃ一通り、御案内しましょう。」と、気軽く椅子《いす》から立ち上った。

        二十六

 三人が初めて案内された病室には、束髪《そくはつ》に結った令嬢が、熱心にオルガンを弾《ひ》いていた。オルガンの前には鉄格子《てつごうし》の窓があって、その窓から洩れて来る光が、冷やかに令嬢の細面《ほそおもて》を照らしていた。俊助《しゅんすけ》はこの病室の戸口に立って、窓の外を塞《ふさ》いでいる白椿《しろつばき》の花を眺めた時、何となく西洋の尼寺《あまでら》へでも行ったような心もちがした。
「これは長野のある資産家の御嬢さんですが、何でも縁談が調わなかったので、発狂したのだとか云う事です。」
「御可哀《おかわい》そうね。」
 辰子《たつこ》は細い声で、囁《ささや》くようにこう云った。が、初子《はつこ》は同情と云うよりも、むしろ好奇心に満ちた眼を輝かせて、じっと令嬢の横顔を見つめていた。
「オルガンだけは忘れないと見えるね。」
「オルガンばかりじゃない。この患者は画も描く。裁縫もする。字なんぞは殊に巧《たくみ》だ。」
 新田《にった》は俊助にこう云ってから、三人を戸口に残して置いて、静にオルガンの側へ歩み寄った。が、令嬢はまるでそれに気がつかないかのごとく、依然として鍵盤《けんばん》に指を走らせ続けていた。
「今日《こんにち》は。御気分はいかがです?」
 新田は二三度繰返して問いかけたが、令嬢はやはり窓の外の白椿と向い合ったまま、振返る気色《けしき》さえ見せなかった。のみならず、新田が軽く肩へ手をかけると、恐ろしい勢いでふり払いながら、それでも指だけは間違いなく、この病室の空気にふさわしい、陰鬱な曲を弾《ひ》きやめなかった。
 三人は一種の無気味《ぶきみ》さを感じて無言のまま、部屋を外へ退《しりぞ》いた。
「今日は御機嫌《ごきげん》が悪いようです。あれでも気が向くと、思いのほか愛嬌《あいきょう》のある女なんです
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