Bその中では近藤《こんどう》と云う独逸《ドイツ》文科《ぶんか》の学生と、花房《はなぶさ》と云う仏蘭西《フランス》文科の学生とが、特に俊助の注意を惹《ひ》いた人物だった。近藤は大井よりも更に背の低い、大きな鼻眼鏡をかけた青年で、『城』同人の中では第一の絵画通と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学《ていこくぶんがく》』へ、堂々たる文展《ぶんてん》の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだった。もう一人の花房は、一週間以前『鉢《はち》の木《き》』へ藤沢と一しょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語《しかこくご》のほかにも、希臘語《ギリシャご》や羅甸語《ラテンご》の心得があると云う、非凡な語学通で通っていた。そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘羅甸の書物が、時々|本郷通《ほんごうどおり》の古本屋《ふるぼんや》に並んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。この二人に比《くら》べると、ほかの『城』同人は存外特色に乏しかった。が、身綺麗《みぎれい》な服装の胸へ小さな赤薔薇《あかばら》の造花《ぞうか》をつけている事は、いずれも軌《き》を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣へ腰を下しながら、こう云うハイカラな連中に交《まじ》っている大井篤夫《おおいあつお》の野蛮《やばん》な姿を、滑稽に感ぜずにはいられなかった。
「御蔭様で、今夜は盛会でした。」
 タキシイドを着た藤沢は、女のような柔《やさ》しい声で、まず独唱家《ソロイスト》の清水に挨拶した。
「いや、どうもこの頃は咽喉《のど》を痛めているもんですから――それより『城』の売行きはどうです? もう収支|償《つぐな》うくらいには行くでしょう。」
「いえ、そこまで行ってくれれば本望なんですが――どうせ我々の書く物なんぞが、売れる筈はありゃしません。何しろ人道主義と自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから。」
「そうですかね。だがいつまでも、それじゃすまないでしょう。その内に君の『ボオドレエル詩抄』が、羽根《はね》の生えたように売れる時が来るかも知れない。」
 清水は見え透いた御世辞を云いながら、給仕の廻して来た紅茶を受けとると、隣に坐っていた花房《はなぶさ》の方を向いて、
「この間の君の小説は、大へん面白く拝見しましたよ。あれは何から材料を取ったん
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