》って、この馬の覊綱《はづな》を切るより早く、背に飛びのる間《ま》も惜しいように、さえぎるものをひづめにかけて、いっさんに宙を飛ばした。そのために受けた傷も、もとより数えるいとまはない。水干《すいかん》の袖《そで》はちぎれ、烏帽子《えぼし》はむなしく紐《ひも》をとどめて、ずたずたに裂かれた袴《はかま》も、なまぐさい血潮に染まっている。が、それも、太刀と鉾《ほこ》との林の中から、一人に会えば一人を切り、二人に会えば二人を切って、出て来た時の事を思えば、うれしくこそあれ、惜しくはない。――彼は、後ろを見返り見返り、晴れ晴れした微笑を、口角に漂わせながら、昂然《こうぜん》として、馬を駆った。
彼の念頭には、沙金がある。と同時にまた、次郎もある。彼は、みずから欺く弱さをしかりながら、しかもなお沙金《しゃきん》の心が再び彼に傾く日を、夢のように胸に描いた。自分でなかったなら、たれがこの馬をこの場合、奪う事ができるだろう。向こうには、人の和があった。しかも地の利さえ占めている。もし次郎だったとしたならば――彼の想像には、一瞬の間《あいだ》、侍たちの太刀《たち》の下に、切り伏せられている弟の姿が、
前へ
次へ
全113ページ中91ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング