相手をそこへ引き倒した。
「人殺し。人殺し。助けてくれ。親殺しじゃ。」
「ばかな事を。たれがおぬしなぞ殺すものか。」
太郎は、ひざの下に老人を押し伏せたまま、こう高らかに、あざわらった。が、それと同時に、このおやじを殺したいという欲望が、おさえがたいほど強く、起こって来た。殺すのには、もちろんなんのめんどうもない。ただ、一突き――あの赤く皮のたるんでいる頸《うなじ》を、ただ、一突き突きさえすれば、それでもう万事が終わってしまう。突き通した太刀《たち》のきっさきが、畳へはいる手答えと、その太刀の柄《つか》へ感じて来る、断末魔の身もだえと、そうして、また、その太刀を押しもどす勢いで、あふれて来る血のにおいと、――そういう想像は、おのずから太郎の手を、葛巻《つづらま》きの太刀の柄《つか》へのばさせた。
「うそじゃ。うそじゃ。おぬしは、いつもわしを殺そうと思うている。――やい、たれか助けてくれ。人殺しじゃ。親殺しじゃ。」
猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、相手の心を見通したのか、またひとしきりはね起きようとして、すまいながら、必死になって、わめき立てた。
「おぬしは、なんで阿濃《あこぎ》を、
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