ずき》をかけているが、声と言い、物ごしと言い、紛れもない沙金《しゃきん》である。――次郎は、石段をおりながら、じっとくちびるをかんで、目をそらせた。が、二人とも、次郎には、目をかける様子がない。
「じゃよくって。きっと忘れちゃいやよ。」
「大丈夫だよ。おれがひきうけたからは、大船《おおぶね》に乗った気でいるがいい」
「だって、わたしのほうじゃ命がけなんですもの。このくらい、念を押さなくちゃしようがないわ。」
男は赤ひげの少しある口を、咽《のど》まで見えるほど、あけて笑いながら、指で、ちょいと沙金の頬《ほお》を突っついた。
「おれのほうも、これで命がけさ。」
「うまく言っているわ。」
二人は、寺の門の前を通りすぎて、さっき次郎が猪熊《いのくま》のばばと別れた辻《つじ》まで行くと、そこに足をとめたまましばらくは、人目も恥じず、ふざけ合っていたが、やがて、男は、振りかえり振りかえり、何かしきりにからかいながら、辻を東へ折れてしまう。女は、くびすをめぐらして、まだくすくす笑いながら、またこっちへ帰って来る。――次郎は、石段の下にたたずんで、うれしいのか情けないのか、わからないような感情に動
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