、また険しい色をひらめかせた。――
(すると、突然ある日、そのころ筑後《ちくご》の前司《ぜんじ》の小舎人《ことねり》になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の獄《ひとや》へ入れられたという知らせが来た。放免《ほうめん》をしているおれには、獄中の苦しさが、たれよりもよく、わかっている。おれは、まだ筋骨のかたまらない弟の身の上を、自分の事のように、心配した。そこで、沙金《しゃきん》に相談すると、あの女はさもわけがなさそうに、「牢《ろう》を破ればいいじゃないの」と言う。かたわらにいた猪熊《いのくま》のばばも、しきりにそれをすすめてくれる。おれは、とうとう覚悟をきめて、沙金といっしょに、五六人の盗人を語り集めた。そうして、その夜のうちに、獄《ひとや》をさわがして、難なく弟を救い出した。その時、受けた傷の跡は、今でもおれの胸に残っている。が、それよりも忘れられないのは、おれがその時始めて、放免《ほうめん》の一人を切り殺した事であった。あの男の鋭い叫び声と、それから、あの血のにおいとは、いまだにおれの記憶を離れない。こう言う今でも、おれはそれを、この蒸し暑い空気の中に、感じるような心もちがす
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