する。あの時のおれと今のおれとを比べれば、おれ自身にさえ、同じ人間のような気はしない。あのころのおれは、三宝を敬う事も忘れなければ、王法にしたがう事も怠らなかった。それが、今では、盗みもする。時によっては、火つけもする。人を殺した事も、二度や三度ではない。ああ、昔のおれは――仲間の放免といっしょになって、いつもの七半《しちはん》を打ちながら、笑い興じていた、あの昔のおれは、今のおれの目から見ると、どのくらいしあわせだったかわからない。
考えれば、まだきのうのように思われるが、実はもう一年|前《まえ》になった。――あの女が、盗みの咎《とが》で、検非違使《けびいし》の手から、右の獄《ひとや》へ送られる。おれがそれと、ふとした事から、牢格子《ろうごうし》を隔てて、話し合うような仲になる。それから、その話が、だんだんたび重なって、いつか互いに身の上の事まで、打ち明け始める。とうとう、しまいには、猪熊《いのくま》のばばや同類の盗人が、牢《ろう》を破ってあの女を救い出すのを、見ないふりをして、通してやった。
その晩から、おれは何度となく、猪熊のばばの家へ出はいりをした。沙金《しゃきん》は、おれ
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