男の数は、この炎天にひるがえる燕《つばくら》の数《かず》よりも、たくさんある。現にこう言うおれでさえ、ただ一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。……
すると四条坊門《しじょうぼうもん》の辻《つじ》を、南へやる赤糸毛《あかいとげ》の女車《おんなぐるま》が、静かに太郎の行く手を通りすぎる。車の中の人は見えないが、紅《べに》の裾濃《すそご》に染めた、すずしの下簾《したすだれ》が、町すじの荒涼としているだけに、ひときわ目に立ってなまめかしい。それにつき添った牛飼いの童《わらべ》と雑色《ぞうしき》とは、うさんらしく太郎のほうへ目をやったが、牛だけは、角《つの》をたれて、漆のように黒い背を鷹揚《おうよう》にうねらしながら、わき見もせずに、のっそりと歩いてゆく。しかしとりとめのない考えに沈んでいる太郎には、車の金具の、まばゆく日に光ったのが、わずかに目にはいっただけである。
彼は、しばらく足をとめて、車を通りこさせてから、また片目を地に伏せて、黙々と歩きはじめた。――
(おれが右の獄《ひとや》の放免《ほうめん》をしていた時の事を思えば、今では、遠い昔のような、心もちが
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