しも、気をつけている。」
「気をつけていてもさ。」
 老婆は、いささか、相手の感情の、この急激な変化に驚きながら、例のごとくくちびるをなめなめ、つぶやいた。
「気をつけていてもだわね。」
「しかし、兄きの思わくは兄きの思わくで、わたしには、どうにもできないじゃないか。」
「そう言えば、実《み》もふたもなくなるがさ。実はわたしは、きのう娘に会ったのだよ。すると、きょう未《ひつじ》の下刻《げこく》に、お前さんと寺の門の前で、会う事になっていると言うじゃないか。それで、お前さんのにいさんには半月近くも、顔は合わせないようにしているとね、太郎さんがこんな事を知ってごらん。また、お前さん、一悶着《ひともんちゃく》だろう。」
 次郎は、老婆の※[#「女+尾」、第3水準1−15−81]々《びび》として説くことばをさえぎるように、黙って、いらだたしく何度もうなずいた。が、猪熊《いのくま》のばばは、容易に口を閉ざしそうなけしきもない。
「さっき、向こうの辻《つじ》で、太郎さんに会った時にも、わたしはよくそう言って来たけれどね、そうなりゃ、わたしたちの仲間だもの、すぐに刃物三昧《はものざんまい》だろうじゃ
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