して殺到する。沙金《しゃきん》も、今は弓にたかうすびょうの矢をつがえて、まだ微笑を絶たない顔に、一脈の殺気を浮かべながら、すばやく道ばたの築土《ついじ》のこわれを小楯《こだて》にとって、身がまえた。――
 やがて敵と味方は、見る見るうちに一つになって、気の違ったようにわめきながら、十郎の倒れている前後をめぐって、無二無三に打ち合い始めた。その中にまた、狩犬がけたたましく、血に飢えた声を響かせて、戦いはいずれが勝つとも、しばらくの間はわからない。そこへ一人、裏へまわった仲間の一人が、汗と埃《ほこり》とにまみれながら、二三か所薄手を負うた様子で、血に染まったままかけつけた。肩にかついだ太刀の刃のこぼれでは、このほうの戦いも、やはり存外手痛かったらしい。
「あっちは皆ひき上げますぜ。」
 その男は、月あかりにすかしながら、沙金の前へ来ると、息を切らし切らし、こう言った。
「なにしろ肝腎《かんじん》の太郎さんが、門の中で、やつらに囲まれてしまったという騒ぎでしてな。」
 沙金《しゃきん》と次郎とは、うす暗い築土《ついじ》の影の中で、思わず目と目を見合わせた。
「囲まれて、どうしたえ。」
「どうしたか、わかりません。が、事によると、――まあそれもあの人の事だから、万々《ばんばん》大丈夫だろうと思いますがな。」
 次郎は、顔をそむけながら、沙金のそばを離れた。が、小盗人《こぬすびと》はもちろんそんな事は、気にとめない。
「それにおじじやおばばまで、手を負ったようでした。あのぶんじゃ殺されたやつも、四五人はありましょう。」
 沙金はうなずいた。そうして次郎のあとから追いかけるように、険のある声で、
「じゃ、わたしたちもひき上げましょう。次郎さん、口笛を吹いてちょうだい。」と言った。
 次郎は、あらゆる表情が、凝り固まったような顔をしながら、左手の指を口へ含んで、鋭く二声、口笛の音を飛ばせた。これが、仲間にだけ知られている、引き揚げの時の合図である。が、盗人たちは、この口笛を聞いても、踵《くびす》をめぐらす様子がない。(実は、人と犬とにとりかこまれてめぐらすだけの余裕がなかったせいであろう。)口笛の音は、蒸し暑い夜の空気を破って、むなしく小路《こうじ》の向こうに消えた。そうしてそのあとには、人の叫ぶ声と、犬のほえる声と、それから太刀《たち》の打ち合う音とが、はるかな空の星を動かして、いっそう騒然と、立ちのぼった。
 沙金《しゃきん》は、月を仰ぎながら、稲妻のごとく眉《まゆ》を動かした。
「しかたがないわね。じゃ、わたしたちだけ帰りましょう。」
 そういう話のまだ終わらないうちに、そうして、次郎がそれを聞かないもののように、再び指を口に含んで相図を吹こうとした時に、盗人たちの何人かが、むらむらと備えを乱して、左右へ分かれた中から、人と犬とが一つになって、二人の近くへ迫って来た。――と思うと、沙金の手に弓返《ゆがえ》りの音がして、まっさきに進んだ白犬が一頭、たかうすびょうの矢に腹を縫われて、苦鳴と共に、横に倒れる。見る間に、黒血がその腹から、斑々《はんぱん》として砂にたれた。が、犬に続いた一人の男は、それにもおじず、太刀をふりかざして、横あいから次郎に切ってかかる。その太刀が、ほとんど無意識に受けとめた、次郎の太刀の刃を打って、鏘然《そうぜん》とした響きと共に、またたく間《あいだ》、火花を散らした。――次郎はその時、月あかりに、汗にぬれた赤ひげと切り裂かれた樺桜《かばざくら》の直垂《ひたたれ》とを、相手の男に認めたのである。
 彼は直下《じきげ》に、立本寺《りゅうほんじ》の門前を、ありありと目に浮かべた。そうして、それと共に、恐ろしい疑惑が、突然として、彼を脅かした。沙金《しゃきん》はこの男と腹を合わせて、兄のみならず、自分をも殺そうとするのではあるまいか。一髪の間《かん》にこういう疑いをいだいた次郎は、目の前が暗くなるような怒りを感じて、相手の太刀《たち》の下を、脱兎《だっと》のごとく、くぐりぬけると、両手に堅く握った太刀を、奮然として、相手の胸に突き刺した。そうして、ひとたまりもなく倒れる相手の男の顔を、したたか藁沓《わろうず》でふみにじった。
 彼は、相手の血が、生暖かく彼の手にかかったのを感じた。太刀の先が肋《あばら》の骨に触れて、強い抵抗を受けたのを感じた。そうしてまた、断末魔の相手が、ふみつけた彼の藁沓《わろうず》に、下から何度もかみついたのを感じた。それが、彼の復讐心《ふくしゅうしん》に、快い刺激を与えたのは、もちろんである。が、それにつれて、彼はまた、ある名状しがたい心の疲労に、襲われた。もし周囲が周囲だったら、彼は必ずそこに身を投げ出して、飽くまで休息をむさぼった事であろう。しかし、彼が相手の顔をふみつけて、血のしたたる太刀を向
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