顔をしかめて、泣き立てている。うすい産毛《うぶげ》といい、細い手の指と言い、何一つ、嫌悪《けんお》と好奇心とを、同時にそそらないものはない。――平六は、左右を見まわしながら、抱いている赤子を、ふり動かして、得意らしく、しゃべり立てた。
「上へ上がって見ると、阿濃め、窓の下へつっ伏したなり、死んだようになって、うなっていると、阿呆《あほう》とはいえ、女の部じゃ。癪《しゃく》かと思うて、そばへ行くと、いや驚くまい事か。さかなの腸《はらわた》をぶちまけたようなものが、うす暗い中で、泣いているわ。手をやると、それがぴくりと動いた。毛のないところを見れば、猫《ねこ》でもあるまい。じゃてひっつかんで、月明かりにかざして見ると、このとおり生まれたばかりの赤子じゃ。見い。蚊に食われたと見えて、胸も腹も赤まだらになっているわ。阿濃も、これからはおふくろじゃよ。」
松明《たいまつ》の火を前に立った、平六のまわりを囲んで、十五六人の盗人は、立つものは立ち、伏すものは伏して、いずれも皆、首をのばしながら、別人のように、やさしい微笑を含んで、この命が宿ったばかりの、赤い、醜い肉塊を見守った。赤ん坊は、しばらくも、じっとしていない。手を動かす。足を動かす。しまいには、頭を後ろへそらせて、ひとしきりまた、けたたましく泣き立てた。と、齒のない口の中が見える。
「やあ舌がある。」
前に鼻歌をうたった男が、頓狂《とんきょう》な声で、こう言った。それにつれて、一同が、傷も忘れたように、どっと笑う。――その笑い声のあとを追いかけるように、この時、突然、猪熊《いのくま》の爺《おじ》が、どこにそれだけの力が残っていたかと思うような声で、険しく一同の後ろから、声をかけた。
「その子を見せてくれ。よ。その子を。見せないか。やい、極道《ごくどう》。」
平六は、足で彼の頭をこづいた。そうして、おどかすような調子で、こう言った。
「見たければ、見るさ。極道とは、おぬしの事じゃ。」
猪熊の爺は、濁った目を大きく見開いて、平六が身をかがめながら、無造作につきつけた赤ん坊を、食いつきそうな様子をして、じっと見た。見ているうちに、顔の色が、次第に蝋《ろう》のごとく青ざめて、しわだらけの眦《まなじり》に、涙が玉になりながら、たまって来る。と思うと、ふるえるくちびるのほとりには、不思議な微笑の波が漂って、今までにない無邪気な表情が、いつか顔じゅうの筋肉を柔らげた。しかも、饒舌《じょうぜつ》な彼が、そうなったまま、口をきかない。一同は、「死」がついに、この老人を捕えたのを知った。しかし彼の微笑の意味はたれも知っているものがない。
猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、寝たまま、おもむろに手をのべて、そっと赤ん坊の指に触れた。と、赤ん坊は、針にでも刺されたように、たちまちいたいたしい泣き声を上げる。平六は、彼をしかろうとして、そうしてまた、やめた。老人の顔が――血のけを失った、この酒肥《さかぶと》りの老人の顔が、その時ばかりは、平生とちがった、犯しがたいいかめしさに、かがやいているような気がしたからである。その前には、沙金《しゃきん》でさえ、あたかも何物かを待ち受けるように、息を凝らしながら、養父の顔を、――そうしてまた情人《おとこ》の顔を、目もはなさず見つめている。が、彼はまだ、口を開かない。ただ、彼の顔には、秘密な喜びが、おりから吹きだした明け近い風のように、静かに、ここちよく、あふれて来る。彼は、この時、暗い夜の向こうに、――人間の目のとどかない、遠くの空に、さびしく、冷ややかに明けてゆく、不滅な、黎明《れいめい》を見たのである。
「この子は――この子は、わしの子じゃ。」
彼は、はっきりこう言って、それから、もう一度赤ん坊の指にふれると、その手が力なく、落ちそうになる。――それを、沙金《しゃきん》が、かたわらからそっとささえた。十余人の盗人たちは、このことばを聞かないように、いずれも唾《つ》をのんで、身動きもしない。と、沙金が顔を上げて、赤子を抱いたまま、立っている交野《かたの》の平六の顔を見て、うなずいた。
「啖《たん》がつまる音じゃ。」
平六は、たれに言うともなく、つぶやいた。――猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、暗《やみ》におびえて泣く赤子の声の中に、かすかな苦悶《くもん》をつづけながら、消えかかる松明《たいまつ》の火のように、静かに息をひきとったのである。……
「爺《おじ》も、とうとう死んだの。」
「さればさ。阿濃《あこぎ》を手ごめにした主《ぬし》も、これで知れたと言うものじゃ。」
「死骸《しがい》は、あの藪中《やぶなか》へ埋めずばなるまい。」
「鴉《からす》の餌食《えじき》にするのも、気の毒じゃな。」
盗人たちは、口々にこんな事を、うす寒そうに、話し合った。と、遠くで、か
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