、しかも理性を超越したある順序で、まざまざと再び、生活した。
「やい、おばば、おばばはどうした。おばば。」
 彼は、暗《やみ》から生まれて、暗《やみ》へ消えてゆく恐ろしい幻に脅かされて、身をもだえながら、こううなった。すると、かたわらから額の傷を汗衫《かざみ》の袖《そで》で包んだ、交野《かたの》の平六が顔を出して、
「おばばか。おばばはもう十万億土へ行ってしもうた。おおかた蓮《はちす》の上でな、おぬしの来るのを、待ち焦がれている事じゃろう。」
 言いすてて、自分の冗談を、自分でからからと笑いながら、向こうのすみに、真木島《まきのしま》の十郎の腿《もも》のけがの手当をしている、沙金《しゃきん》のほうをふり返って、声をかけた。
「お頭《かしら》、おじじはちとむずかしいようじゃ。苦しめるだけ、殺生《せっしょう》じゃて。わしがとどめを刺してやろうかと思うがな。」
 沙金は、あでやかな声で、笑った。
「冗談じゃないよ。どうせ死ぬものなら、自然に死なしておやりな。」
「なるほどな、それもそうじゃ。」
 猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、この問答を聞くと、ある予期と恐怖とに襲われて、からだじゅうが一時に凍るような心もちがした。そうして、また大きな声でうなった。平六と同じような理由で、敵には臆病《おくびょう》な彼も、今までに何度、致死期《ちしご》の仲間の者をその鉾《ほこ》の先で、とどめを刺したかわからない。それも多くは、人を殺すという、ただそれだけの興味から、あるいは自分の勇気を人にも自分にも示そうとする、ただそれだけの目的から、進んでこの無残なしわざをあえてした。それが今は――
 と、たれか、彼の苦しみも知らないように、灯《ひ》の陰で一人、鼻歌をうたう者がある。
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いたち笛ふき
猿《さる》かなず
いなごまろは拍子うつ
きりぎりす
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 ぴしゃりと、蚊をたたく音が、それに次いで聞こえる。中には「ほう、やれ」と拍子をとったものもあった。二三人が、肩をゆすったけはいで、息のつまったような笑い声を立てる。――猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、総身《そうみ》をわなわなふるわせながら、まだ生きているという事実を確かめたいために、重い※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》を開いて、じっとともし火の光を見た。灯《ともし》は、その炎のまわりに無
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