数の輪をかけながら、執拗《しゅうね》い夜に攻められて、心細い光を放っている。と、小さな黄金虫《こがねむし》が一匹ぶうんと音を立てて、飛んで来て、その光の輪にはいったかと思うとたちまち羽根を焼かれて、下へ落ちた。青臭いにおいが、ひとしきり鼻を打つ。
あの虫のように、自分もほどなく死ななければならない。死ねば、どうせ蛆《うじ》と蝿《はえ》とに、血も肉も食いつくされるからだである。ああこの自分が死ぬ。それを、仲間のものは、歌をうたったり笑ったりしながら、何事もないように騒いでいる。そう思うと、猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、名状しがたい怒りと苦痛とに、骨髄をかまれるような心もちがした。そうして、それとともに、なんだか轆轤《ろくろ》のようにとめどなく回っている物が、火花を飛ばしながら目の前へおりて来るような心もちがした。
「畜生。人でなし。太郎。やい。極道《ごくどう》。」
まわらない舌の先から、おのずからこういうことばが、とぎれとぎれに落ちて来る。――真木島《まきのしま》の十郎は、腿《もも》の傷が痛まないように、そっとねがえりをうちながら、喉《のど》のかわいたような声で、沙金《しゃきん》にささやいた。
「太郎さんは、よくよく憎まれたものさな。」
沙金《しゃきん》は、眉《まゆ》をひそめながら、ちょいと猪熊《いのくま》の爺《おじ》のほうを見て、うなずいた。すると鼻歌をうたったのと同じ声で、
「太郎さんはどうした。」とたずねたものがある。
「まず助かるまいな。」
「死んだのを見たと言うたのは、たれじゃ。」
「わしは、五六人を相手に切り合うているのを見た。」
「やれやれ、頓生菩提《とんしょうぼだい》、頓生菩提。」
「次郎さんも、見えないぞ。」
「これも事によると、同じくじゃ。」
太郎も死んだ。おばばも、もう生きてはいない。自分も、すぐに死ぬであろう。死ぬ。死ぬとは、なんだ。なんにしても、自分は死にたくない。が、死ぬ。虫のように、なんの造作《ぞうさ》もなく死んでしまう。――こんな取りとめのない考えが、暗《やみ》の中に鳴いている藪蚊《やぶか》のように、四方八方から、意地悪く心を刺して来る。猪熊の爺は、形のない、気味の悪い「死」が、しんぼうづよく、丹塗《にぬ》りの柱の向こうに、じっと自分の息をうかがっているのを感じた。残酷に、しかもまた落ち着いて、自分の苦痛をながめているのを感じ
前へ
次へ
全57ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング