のばばは、杖《つえ》にすがって、もう二足三足歩いている。
「ああ、行ってもいい。」
 次郎もようやく、病人の小屋をあとにして、老婆と肩を並べながら、ぶらぶら炎天の往来を歩きだした。
「あんなものを見たんで、すっかり気色《きしょく》がわるくなってしまったよ。」
 老婆は、大仰《おおぎょう》に顔をしかめながら、
「――ええと、平六の家《うち》は、お前さんも知っているだろう。これをまっすぐに行って、立本寺《りゅうほんじ》の門を左へ切れると、藤判官《とうほうがん》の屋敷がある。あの一町ばかり先さ。ついでだから、屋敷のまわりでもまわって、今夜の下見をしておおきよ。」
「なにわたしも、始めからそのつもりで、こっちへ出て来たのさ。」
「そうかえ、それはお前さんにしては、気がきいたね。お前さんのにいさんの御面相じゃ、一つ間違うと、向こうにけどられそうで、下見に行っても、もらえないが、お前さんなら、大丈夫だよ。」
「かわいそうに、兄きもおばばの口にかかっちゃ、かなわないね。」
「なに、わたしなんぞはいちばん、あの人の事をよく言っているほうさ。おじいさんなんぞと来たら、お前さんにも話せないような事を、言っているわね。」
「それは、あの事があるからさ。」
「あったって、お前さんの悪口は、言わないじゃないか。」
「じゃおおかた、わたしは子供扱いにされているんだろう。」
 二人は、こんな閑談をかわしながら、狭い往来をぶらぶら歩いて行った。歩くごとに、京の町の荒廃は、いよいよ、まのあたりに開けて来る。家と家との間に、草いきれを立てている蓬原《よもぎはら》、そのところどころに続いている古築土《ふるついじ》、それから、昔のまま、わずかに残っている松や柳――どれを見ても、かすかに漂う死人《しびと》のにおいと共に、滅びてゆくこの大きな町を、思わせないものはない。途中では、ただ一人、手に足駄《あしだ》をはいている、いざりのこじきに行《ゆ》きちがった。――
「だが、次郎さん、お気をつけよ。」
 猪熊《いのくま》のばばは、ふと太郎の顔を思い浮かべたので、ひとり苦笑を浮かべながら、こう言った。
「娘の事じゃ、ずいぶんにいさんも、夢中になりかねないからね。」
 が、これは、次郎の心に、思ったよりも大きな影響を与えたらしい。彼は、ひいでた眉《まゆ》の間を、にわかに曇らせながら、不快らしく目を伏せた。
「そりゃわた
前へ 次へ
全57ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング