為であらう。
荻生徂徠
荻生徂徠は煎《い》り豆を噛んで古人を罵るのを快としてゐる。わたしは彼の煎り豆を噛んだのは倹約の為と信じてゐたものゝ、彼の古人を罵つたのは何の為か一向わからなかつた。しかし今日考へて見れば、それは今人を罵るよりも確かに当り障りのなかつた為である。
若楓
若楓は幹に手をやつただけでも、もう梢に簇《むらが》つた芽を神経のやうに震はせてゐる。植物と言ふものゝ気味の悪さ!
蟇
最も美しい石竹色は確かに蟇《ひきがへる》の舌の色である。
鴉
わたしは或|雪霽《ゆきばれ》の薄暮、隣の屋根に止まつてゐた、まつ青な鴉を見たことがある。
作家
文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。瑞典式《スエエデンしき》体操、菜食主義、複方《ふくはう》ヂアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない。
又
文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底
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