るのは必しも偶然ではないかも知れない。

       幼児

 我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。

       又

 我我の恬然と我我の愚を公にすることを恥ぢないのは幼い子供に対する時か、――或は――犬猫に対する時だけである。

       池大雅

「大雅は余程呑気な人で、世情に疎かつた事は、其室|玉瀾《ぎよくらん》を迎へた時に夫婦の交りを知らなかつたと云ふので略《ほぼ》其人物が察せられる。」
「大雅が妻を迎へて夫婦の道を知らなかつたと云ふ様な話も、人間離れがしてゐて面白いと云へば、面白いと云へるが、丸で常識のない愚かな事だと云へば、さうも云へるだらう。」
 かう言ふ伝説を信ずる人は、こゝに引いた文章の示すやうに今日もまだ芸術家や美術史家の間に残つてゐる。大雅は玉瀾を娶《めと》つた時に交合のことを行はなかつたかも知れない。しかしその故に交合のことを知らずにゐたと信ずるならば、――勿論その人はその人自身烈しい性欲を持つてゐる余り、苟くもちやんと知つてゐる以上、行はずにすませられる筈はないと確信してゐる
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