又

 単に世間に処するだけならば、情熱の不足などは患へずとも好い。それよりも寧ろ危険なのは明らかに冷淡さの不足である。

       恒産

 恒産のないものに恒心のなかつたのは二千年ばかり昔のことである。今日では恒産のあるものは寧ろ恒心のないものらしい。

       彼等

 わたしは実は彼等夫婦の恋愛もなしに相抱いて暮らしてゐることに驚嘆してゐた。が、彼等はどう云ふ訳か、恋人同志の相抱いて死んでしまつたことに驚嘆してゐる。

       作家所生の言葉

「振《ふる》つてゐる」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行はれるやうになつたのは夏目先生から始つてゐる。かう言ふ作家所生の言葉は夏目先生以後にもない訳ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるものであらう。なほ又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。我我は常に意識して帽子を脱いでゐるものではない。のみならず時には意識的には敵とし怪物とし、犬となすものにもいつか帽子を脱いでゐるものである。或作家を罵《ののし》る文章の中にもその作家の作つた言葉の出
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