い顔をした十二三の娘を覚えてゐる。女髪結はこの娘に行儀を教へるのにやかましかつた。殊に枕をはづすことにはその都度《つど》折檻を加へてゐたらしい。が、近頃ふと聞いた話によれば、娘はもう震災前に芸者になつたとか言ふことである。わたしはこの話を聞いた時、ちよつともの哀れに感じたものの、微笑しない訳には行かなかつた。彼女は定めし芸者になつても、厳格な母親の躾《しつ》け通り、枕だけははづすまいと思つてゐるであらう。……
自由
誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚《はら》の底では少しも自由を求めてゐない。その証拠には人命を奪ふことに少しも躊躇しない無頼漢さへ、金甌無欠《きんおうむけつ》の国家の為に某々を殺したと言つてゐるではないか? しかし自由とは我我の行為に何の拘束もないことであり、即ち神だの道徳だの或は又社会的習慣だのと連帯責任を負ふことを潔しとしないものである。
又
自由は山巓《さんてん》の空気に似てゐる。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
又
まことに自由を眺めることは直《ただ》ちに神々の顔を見る
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