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 我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を捉へ得ぬ前に、破廉恥漢《はれんちかん》の非難を受けることである。
 我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やつと良心を捉へることである。
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 良心は厳粛なる趣味である。
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 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造つたことはない。
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 良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。

       好悪

 わたしは古い酒を愛するやうに、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。さうとしかわたしには考へられない。
 ではなぜ我我は極寒の天にも、将《まさ》に溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救ふことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救ふ快を取るのは何の尺度に依つたのであらう? より大きい快を選んだのである。しか
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