子供を養育するのに適してゐるかどうかは疑問である。成程牛馬は親の為に養育されるのに違ひない。しかし自然の名のもとにこの旧習の弁護するのは確かに親の我儘である。若し自然の名のもとに如何なる旧習も弁護出来るならば、まづ我我は未開人種の掠奪結婚《りやくだつけつこん》を弁護しなければならぬ。
又
子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必しも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与へる影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。
又
人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。
又
古来如何に大勢の親はかう言ふ言葉を繰り返したであらう。――「わたしは畢竟失敗者だつた。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」
可能
我我はしたいことの出来るものではない。只出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかつたであらう。
ムアアの言葉
ジヨオ
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