笥《け》にもる飯《いひ》も草まくら旅にしあれば椎の葉にもる」とは行旅の情をうたつたばかりではない。我我は常に「ありたい」ものの代りに「あり得る」ものと妥協するのである。学者はこの椎の葉にさまざまの美名を与へるであらう。が、無遠慮に手に取つて見れば、椎の葉はいつも椎の葉である。
 椎の葉の椎の葉たるを歎ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に価してゐる。しかし椎の葉の椎の葉たるを一笑し去るよりも退屈であらう。少くとも生涯同一の歎を繰り返すことに倦《う》まないのは滑稽であると共に不道徳である。実際又偉大なる厭世主義者は渋面ばかり作つてはゐない。不治の病を負つたレオパルデイさへ、時には蒼ざめた薔薇の花に寂しい頬笑みを浮べてゐる。……
 追記 不道徳とは過度の異名である。

       仏陀

 悉達多《しつだつた》は王城を忍び出た後六年の間苦行した。六年の間苦行した所以《ゆゑん》は勿論王城の生活の豪奢を極めてゐた結果であらう。その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかしなかつたやうである。

       又

 悉達多は車匿《しやのく》に馬轡《ばひ》を執らしめ、潜《ひそ》
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