れない。
「人間らしさ」
わたしは不幸にも「人間らしさ」に礼拝する勇気は持つてゐない。いや、屡「人間らしさ」に軽蔑を感ずることは事実である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事実である。愛を?――或は愛よりも憐憫《れんびん》かも知れない。が、兎に角「人間らしさ」にも動されぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に変りさうである。Swift の畢《つひ》に発狂したのも当然の結果と云ふ外はない。
スウイフトは発狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に参るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戦慄を伝へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。
椎の葉
完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与へられた特権である。如何なる楽天主義者にもせよ、笑顔に終止することの出来るものではない。いや、もし真に楽天主義なるものの存在を許し得るとすれば、それは唯如何に幸福に絶望するかと云ふことのみである。
「家にあれば
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