針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさへすれば、格別|跋渉《ばつせふ》の苦しみを感じないやうになつてしまひさうである。

       醜聞

 公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであらう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであらう? グルモンはこれに答へてゐる。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のやうに見せてくれるから。」
 グルモンの答は中《あた》つてゐる。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さへ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦《けふだ》を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知つてゐる。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にかう云つた後、豚のやうに幸福に熟睡したであらう。

       又

 天才の一部は明らかに醜聞を起し得る才能である。

       輿論

 輿論《よろん》は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たとひピストルを用ふる代りに新聞の記事を用ひたとしても。

       又

 輿論の存在に価する理由は唯輿論を蹂躙する興味を与へることばかりである。

       敵意

 敵意は寒気と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である。

       ユウトピア

 完全なるユウトピアの生れない所以は大体下の通りである。――人間性そのものを変へないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。人間性そのものを変へるとすれば、完全なるユウトピアと思つたものも忽ち又不完全に感ぜられてしまふ。

       危険思想

 危険思想とは常識を実行に移さうとする思想である。

       悪

 芸術的気質を持つた青年は、最後に人間の悪を発見する。

       二宮尊徳

 わたしは小学校の読本の中に二宮尊徳の少年時代の大書してあつたのを覚えてゐる。貧家に人となつた尊徳は昼は農作の手伝ひをしたり、夜は草鞋《わらぢ》を造つたり、大人のやうに働きながら、健気
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