謔閧焉A光彩に富んだ信念ではない。しかも今人は悉《ことごとく》こう云う信念に安んじている。
これは進化論ばかりではない。地球は円いと云うことさえ、ほんとうに知っているものは少数である。大多数は何時か教えられたように、円いと一図に信じているのに過ぎない。なぜ円いかと問いつめて見れば、上愚は総理大臣から下愚は腰弁に至る迄、説明の出来ないことは事実である。
次ぎにもう一つ例を挙げれば、今人は誰も古人のように幽霊の実在を信ずるものはない。しかし幽霊を見たと云う話は未《いまだ》に時々伝えられる。ではなぜその話を信じないのか? 幽霊などを見る者は迷信に囚《とら》われて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。こう云う今人の論法は勿論《もちろん》所謂《いわゆる》循環論法に過ぎない。
況《いわん》や更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。何物かに、――わたしは「何物か」と云う以前に、ふさわしい名前さえ発見出来ない。もし強いて名づけるとすれば、薔薇《ばら》とか魚とか蝋燭《ろうそく》
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