ヒ》の頂を窮め、越え難い海の浪《なみ》を渡り――云わば不可能を可能にする夢を見ることがございます。そう云う夢を見ている時程、空恐しいことはございません。わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬように――英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守り下さいまし。
 わたしはこの春酒に酔い、この金鏤《きんる》の歌を誦《しょう》し、この好日を喜んでいれば不足のない侏儒でございます。

   神秘主義

 神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。
 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も変りはない。その上古人は少くとも創世記に目を曝《さ》らしていた。今人は少数の専門家を除き、ダアウインの著書も読まぬ癖に、恬然《てんぜん》とその説を信じている。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかった土、――アダムを先祖とすること
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