戯的に出来るものではない。彼も亦「死にたいと思いながら、しかも死ねなかった」一人である。

   或理想主義者

 彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。

   恐怖

 我我に武器を執《と》らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかも屡《しばしば》実在しない架空の敵に対する恐怖である。

   我我

 我我は皆我我自身を恥じ、同時に又彼等を恐れている。が、誰も卒直にこう云う事実を語るものはない。

   恋愛

 恋愛は唯《ただ》性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。

   或老練家

 彼はさすがに老練家だった。醜聞を起さぬ時でなければ、恋愛さえ滅多にしたことはない。

   自殺

 万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

   又

 自殺に対するモンテェエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしない[#「しない」に傍点]のではない。自殺することの出来ない[#「出来ない」に傍点]のである。

   又

 死にたければいつでも死ねるからね。
 ではためしにやって見給え。

   革命

 革命の上に革命を加えよ。然《しか》らば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗《な》むることを得べし。

   死

 マインレンデルは頗《すこぶ》る正確に死の魅力を記述している。実際我我は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるようにじりじり死の前へ歩み寄るのである。

   「いろは」短歌

 我我の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。

   運命

 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟《ひっきょう》この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僣越《せんえつ》である。

   嘲けるもの

 他を嘲《あざけ》るものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。

   或日本人の言葉

 我にスウィツルを与えよ。然《しか》らずんば言論の自由を与えよ。

   人間的な、余りに人間的な

 人間的な、余りに人間的なものは大抵
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