彼等夫婦の恋愛もなしに相抱いて暮らしていることに驚嘆していた。が、彼等はどう云う訣《わけ》か、恋人同志の相抱いて死んでしまったことに驚嘆している。

   作家所生の言葉

「振っている」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行われるようになったのは夏目先生から始まっている。こう言う作家|所生《しょせい》の言葉は夏目先生以後にもない訣ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるものであろう。なお又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。我我は常に意識して帽子を脱いでいるものではない。のみならず時には意識的には敵とし、怪物とし、犬となすものにもいつか帽子を脱いでいるものである。或作家を罵《ののし》る文章の中にもその作家の作った言葉の出るのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

   幼児

 我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。

   又

 我我の恬然《てんぜん》と我我の愚を公にすることを恥じないのは幼い子供に対する時か、――或は、犬猫に対する時だけである。

   池大雅

「大雅《たいが》は余程|呑気《のんき》な人で、世情に疎かった事は、其室|玉瀾《ぎょくらん》を迎えた時に夫婦の交りを知らなかったと云うので略《ほぼ》其人物が察せられる。」
「大雅が妻を迎えて夫婦の道を知らなかったと云う様な話も、人間離れがしていて面白いと云えば、面白いと云えるが、丸で常識のない愚かな事だと云えば、そうも云えるだろう。」
 こう言う伝説を信ずる人はここに引いた文章の示すように今日もまだ芸術家や美術史家の間に残っている。大雅は玉瀾を娶《めと》った時に交合のことを行わなかったかも知れない。しかしその故に交合のことを知らずにいたと信ずるならば、――勿論《もちろん》その人はその人自身|烈《はげ》しい性欲を持っている余り、苟《いやし》くもちゃんと知っている以上、行わずにすませられる筈《はず》はないと確信している為であろう。

   荻生徂徠

 荻生徂徠《おぎゅうそらい》は煎《い》り豆《まめ》を噛《か》んで古人を罵るのを快としている。わたしは彼の煎り豆を噛んだのは倹約の為と信じていたものの、彼の古人を罵ったのは何の為か一向わからなかった。しかし今日考えて見れば、それは
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