|奢侈《しゃし》である。現に列強は軍備の為に大金を費しているではないか? 若《も》し「勤倹尚武」と言うことも痴人の談でないとすれば、「勤倹|遊蕩《ゆうとう》」と言うこともやはり通用すると言わなければならぬ。
日本人
我我日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命《さるたひこのみこと》もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?
倭寇
倭寇《わこう》は我我日本人も優に列強に伍《ご》するに足る能力のあることを示したものである。我我は盗賊、殺戮《さつりく》、姦淫《かんいん》等に於ても、決して「黄金の島」を探しに来た西班牙人《スペインじん》、葡萄牙人《ポルトガルじん》、和蘭人《オランダじん》、英吉利人《イギリスじん》等に劣らなかった。
つれづれ草
わたしは度たびこう言われている。――「つれづれ草などは定めしお好きでしょう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗《いまだかつて》愛読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆《ほとん》ど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。
徴候
恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言う男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬《しっと》を感ずることである。
又
又恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。
恋愛と死と
恋愛の死を想わせるのは進化論的根拠を持っているのかも知れない。蜘蛛《くも》や蜂は交尾を終ると、忽《たちま》ち雄は雌の為に刺し殺されてしまうのである。わたしは伊太利《イタリア》の旅役者の歌劇「カルメン」を演ずるのを見た時、どうもカルメンの一挙一動に蜂を感じてならなかった。
身代り
我我は彼女を愛する為に往々彼女の外の女人を彼女の身代りにするものである。こう言う羽目に陥るのは必《かならず》しも彼女の我我を却《しりぞ》けた場合に限る訣《わけ》ではない。我我は時には怯懦《きょうだ》の為に、時には又美的要求の為にこの残酷な慰安の相手に一人の女人を使い兼ねぬのである。
結婚
結婚は性慾を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有
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