ことがあるそうである。この逸話は思い出す度にいつも戦慄《せんりつ》を伝えずには置かない。わたしはスウィフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかったことをひそかに幸福に思っている。
椎の葉
完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与えられた特権である。如何なる楽天主義者にもせよ、笑顔に終始することの出来るものではない。いや、もし真に楽天主義なるものの存在を許し得るとすれば、それは唯《ただ》如何に幸福に絶望するかと云うことのみである。
「家《いへ》にあれば笥《け》にもる飯《いひ》を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる」とは行旅の情をうたったばかりではない。我我は常に「ありたい」ものの代りに「あり得る」ものと妥協するのである。学者はこの椎の葉にさまざまの美名を与えるであろう。が、無遠慮に手に取って見れば、椎の葉はいつも椎の葉である。
椎の葉の椎の葉たるを歎《たん》ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に価している。しかし椎の葉の椎の葉たるを一笑し去るよりも退屈であろう。少くとも生涯同一の歎を繰り返すことに倦《う》まないのは滑稽《こっけい》であると共に不道徳である。実際又偉大なる厭世《えんせい》主義者は渋面ばかり作ってはいない。不治の病を負ったレオパルディさえ、時には蒼《あお》ざめた薔薇《ばら》の花に寂しい頬笑《ほほえ》みを浮べている。……
追記 不道徳とは過度の異名である。
仏陀
悉達多《しったるた》は王城を忍び出た後六年の間苦行した。六年の間苦行した所以《ゆえん》は勿論《もちろん》王城の生活の豪奢《ごうしゃ》を極めていた祟《たた》りであろう。その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかしなかったようである。
又
悉達多は車匿《しゃのく》に馬轡《ばひ》を執《と》らせ、潜《ひそ》かに王城を後ろにした。が、彼の思弁癖は屡《しばしば》彼をメランコリアに沈ましめたと云うことである。すると王城を忍び出た後、ほっと一息ついたものは実際将来の釈迦無二仏《しゃかむにぶつ》だったか、それとも彼の妻の耶輸陀羅《やすだら》だったか、容易に断定は出来ないかも知れない。
又
悉達多は六年の苦行の後、菩提樹《ぼだいじゅ》下に正覚《しょうがく》に達した。彼の成道の伝説は如何に物質の精神を支配するかを語るものである。彼はまず水浴している。それから乳糜
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