木の根もとに佇《たたず》み、じっと彼の足もとを見つめる。

   30[#「30」は縦中横]

 斜めに上から見おろした山みち。山みちには月の光の中に石ころが一つ転がっている。石ころは次第に石斧《せきふ》に変り、それから又短剣に変り、最後にピストルに変ってしまう。しかしそれももうピストルではない。いつか又もとのように唯《ただ》の石ころに変っている。

   31[#「31」は縦中横]

 前の山みち。「さん・せばすちあん」は立ち止まったまま、やはり足もとを見つめている。影の二つあることも変りはない。それから今度は頭を挙げ、樟の木の幹を眺めはじめる。………

   32[#「32」は縦中横]

 月の光を受けた樟の木の幹。荒あらしい木の皮に鎧《よろ》われた幹は何も始めは現していない。が、次第にその上に世界に君臨した神々の顔が一つずつ鮮かに浮んで来る。最後には受難の基督《キリスト》の顔。最後には?――いや、「最後には」ではない。それも見る見る四つ折りにした東京××新聞に変ってしまう。

   33[#「33」は縦中横]

 前の山みちの側面。鍔の広い帽子にマントルを着た影はおのずから真っすぐに立ち上る。尤《もっと》も立ち上ってしまった時はもう唯の影ではない。山羊のように髯《ひげ》を伸ばした、目の鋭い紅毛人の船長である。

   34[#「34」は縦中横]

 この山みち。「さん・せばすちあん」は樟の木の下に船長と何か話している。彼の顔いろは重おもしい。が、船長は脣《くちびる》に絶えず冷笑を浮かべている。彼等は暫《しばら》く話した後、一しょに横みちへはいって行《ゆ》く。

   35[#「35」は縦中横]

 海を見おろした岬の上。彼等はそこに佇んだまま、何か熱心に話している。そのうちに船長はマントルの中から望遠鏡を一つ出し、「さん・せばすちあん」に「見ろ」と云う手真似《てまね》をする。彼はちょっとためらった後、望遠鏡に海の上を覗いて見る。彼等のまわりの草木《そうもく》は勿論、「さん・せばすちあん」の法服は海風の為にしっきりなしに揺らいでいる。が、船長のマントルは動いていない。

   36[#「36」は縦中横]

 望遠鏡に映った第一の光景。何枚も画を懸けた部屋の中に紅毛人の男女《なんにょ》が二人テエブルを中に話している。蝋燭《ろうそく》の光の落ちたテエブルの上には酒杯《さかずき》やギタアや薔薇《ばら》の花など。そこへ又紅毛人の男が一人突然この部屋の戸を押しあけ、剣を抜いてはいって来る。もう一人の紅毛人の男も咄嗟《とっさ》にテエブルを離れるが早いか、剣を抜いて相手を迎えようとする。しかしもうその時には相手の剣を心臓に受け、仰向《あおむ》けに床の上へ倒れてしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬《ほお》を抑えたまま、じっとこの悲劇を眺めている。

   37[#「37」は縦中横]

 望遠鏡に映った第二の光景。大きい書棚などの並んだ部屋の中に紅毛人の男が一人ぼんやりと机に向っている。電灯の光の落ちた机の上には書類や帳簿や雑誌など。そこへ紅毛人の子供が一人勢よく戸をあけてはいって来る。紅毛人はこの子供を抱き、何度も顔へ接吻《せっぷん》した後、「あちらへ行《ゆ》け」と云う手真似をする。子供は素直に出て行ってしまう。それから又紅毛人は机に向い、抽斗《ひきだし》から何か取り出したと思うと、急に頭のまわりに煙を生じる。

   38[#「38」は縦中横]

 望遠鏡に映った第三の光景。或|露西亜人《ロシアじん》の半身像を据えた部屋の中に紅毛人の女が一人せっせとタイプライタアを叩《たた》いている。そこへ紅毛人の婆さんが一人静かに戸をあけて女に近より、一封の手紙を出しながら、「読んで見ろ」と云う手真似《てまね》をする。女は電灯の光の中にこの手紙へ目を通すが早いか、烈《はげ》しいヒステリイを起してしまう。婆さんは呆気《あっけ》にとられたまま、あとずさりに戸口へ退いて行《ゆ》く。

   39[#「39」は縦中横]

 望遠鏡に映った第四の光景。表現派の画に似た部屋の中に紅毛人の男女《なんにょ》が二人テエブルを中に話している。不思議な光の落ちたテエブルの上には試験管や漏斗《じょうご》や吹皮《ふいご》など。そこへ彼等よりも背の高い、紅毛人の男の人形が一つ無気味にもそっと戸を押しあけ、人工の花束を持ってはいって来る。が、花束を渡さないうちに機械に故障を生じたと見え、突然男に飛びかかり、無造作に床の上に押し倒してしまう。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、両手に頬《ほお》を抑えたまま、急にとめどなしに笑いはじめる。

   40[#「40」は縦中横]

 望遠鏡に映った第五の光景。今度も亦前の部屋と変りはない。唯《ただ》前と変っているのは誰《たれ》もそ
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