。彼は急に十字を切る。それからほっとした表情を浮かべる。
17[#「17」は縦中横]
尻っ尾の長い猿が二匹一本の蝋燭の下に蹲《うずくま》っている。どちらも顔をしかめながら。
18[#「18」は縦中横]
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はもう一度十字架の前に祈っている。そこへ大きい梟《ふくろう》が一羽さっとどこからか舞い下って来ると、一|煽《あお》ぎに蝋燭の火を消してしまう。が、一すじの月の光だけはかすかに十字架を照らしている。
19[#「19」は縦中横]
岩の壁の上に懸けた十字架。十字架は又十字の格子《こうし》を嵌《は》めた長方形の窓に変りはじめる。長方形の窓の外は茅葺《かやぶ》きの家が一つある風景。家のまわりには誰もいない。そのうちに家はおのずから窓の前へ近よりはじめる。同時に又家の内部も見えはじめる。そこには「さん・せばすちあん」に似た婆さんが一人片手に糸車をまわしながら、片手に実のなった桜の枝を持ち、二三歳の子供を遊ばせている。子供も亦彼の子に違いない。が、家の内部は勿論、彼等もやはり霧のように長方形の窓を突きぬけてしまう。今度見えるのは家の後ろの畠《はたけ》。畠には四十に近い女が一人せっせと穂麦を刈り干している。………
20[#「20」は縦中横]
長方形の窓を覗《のぞ》いている「さん・せばすちあん」の上半身《かみはんしん》。但し斜めに後ろを見せている。明るいのは窓の外ばかり。窓の外はもう畠《はたけ》ではない。大勢の老若男女の頭が一面にそこに動いている。その又大勢の頭の上には十字架に懸った男女が三人高だかと両腕を拡《ひろ》げている。まん中の十字架に懸った男は全然彼と変りはない。彼は窓の前を離れようとし、思わずよろよろと倒れかかる。――
21[#「21」は縦中横]
前の洞穴《ほらあな》の内部。「さん・せばすちあん」は十字架の下の岩の上へ倒れている。が、やっと顔を起し、月明りの落ちた十字架を見上げる。十字架はいつか初《う》い初《う》いしい降誕の釈迦《しゃか》に変ってしまう。「さん・せばすちあん」は驚いたようにこう云う釈迦を見守った後、急に又立ち上って十字を切る。月の光の中をかすめる、大きい一羽の梟《ふくろう》の影。降誕の釈迦はもう一度もとの十字架に変ってしまう。………
22[#「22」は縦中横]
前の山みち。月の光の落ちた山みちは黒いテエブルに変ってしまう。テエブルの上にはトランプが一組。そこへ男の手が二つ現れ、静かにトランプを切った上、左右へ札を配りはじめる。
23[#「23」は縦中横]
前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は頭を垂れ、洞穴の中を歩いている。すると彼の頭の上へ円光が一つかがやきはじめる。同時に又洞穴の中も徐《おもむ》ろに明るくなりはじめる。彼はふとこの奇蹟《きせき》に気がつき、洞穴のまん中に足を止める。始めは驚きの表情。それから徐ろに喜びの表情。彼は十字架の前にひれ伏し、もう一度熱心に祈りを捧げる。
24[#「24」は縦中横]
「さん・せばすちあん」の右の耳。耳たぶの中には樹木が一本累々と円い実をみのらせている。耳の穴の中は花の咲いた草原《くさはら》。草は皆そよ風に動いている。
25[#「25」は縦中横]
前の洞穴の内部。但し今度は外部に面している。円光を頂いた「さん・せばすちあん」は十字架の前から立ち上り、静かに洞穴の外へ歩いて行く。彼の姿の見えなくなった後、十字架はおのずから岩の上へ落ちる。同時に又|水瓶《みずがめ》の中から猿が一匹|躍《おど》り出し、怖《こ》わ怖《ご》わ十字架に近づこうとする。それからすぐに又もう一匹。
26[#「26」は縦中横]
この洞穴の外部。「さん・せばすちあん」は月の光の中に次第にこちらへ歩いて来る。彼の影は左には勿論《もちろん》、右にももう一つ落ちている。しかもその又右の影は鍔《つば》の広い帽子をかぶり、長いマントルをまとっている。彼はその上半身に殆《ほとん》ど洞穴の外を塞《ふさ》いだ時、ちょっと立ち止まって空を見上げる。
27[#「27」は縦中横]
星ばかり点々とかがやいた空。突然大きい分度器が一つ上から大股《おおまた》に下って来る。それは次第に下るのに従い、やはり次第に股を縮め、とうとう両脚を揃《そろ》えたと思うと、徐ろに霞《かす》んで消えてしまう。
28[#「28」は縦中横]
広い暗《やみ》の中に懸った幾つかの太陽。それ等の太陽のまわりには地球が又幾つもまわっている。
29[#「29」は縦中横]
前の山みち。円光を頂いた「さん・せばすちあん」は二つの影を落したまま、静かに山みちを下って来る。それから樟《くす》の
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