こにいないことである。そのうちに突然部屋全体は凄《すさ》まじい煙の中に爆発してしまう。あとは唯一面の焼野原ばかり。が、それも暫《しばら》くすると、一本の柳が川のほとりに生えた、草の長い野原に変りはじめる。その又野原から舞い上る、何羽とも知れない白鷺《しらさぎ》の一群。………

   41[#「41」は縦中横]

 前の岬の上。「さん・せばすちあん」は望遠鏡を持ち、何か船長と話している。船長はちょっと頭を振り、空の星を一つとって見せる。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌《あわ》てて十字を切ろうとする。が、今度は切れないらしい。船長は星を手の平にのせ、彼に「見ろ」と云う手真似をする。

   42[#「42」は縦中横]

 星をのせた船長の手の平。星は徐《おもむ》ろに石ころに変り、石ころは又|馬鈴薯《じゃがいも》に変り、馬鈴薯は三度目に蝶に変り、蝶は最後に極く小さい軍服姿のナポレオンに変ってしまう。ナポレオンは手の平のまん中に立ち、ちょっとあたりを眺めた後、くるりとこちらへ背中を向けると、手の平の外へ小便をする。

   43[#「43」は縦中横]

 前の山みち。「さん・せばすちあん」は船長のあとからすごすごそこへ帰って来る。船長はちょっと立ちどまり、丁度|金《かね》の輪《わ》でもはずすように「さん・せばすちあん」の円光をとってしまう。それから彼等は樟《くす》の木の下にもう一度何か話しはじめる。みちの上に落ちた円光は徐ろに大きい懐中時計になる。時刻は二時三十分。

   44[#「44」は縦中横]

 この山みちのうねったあたり。但し今度は木や岩は勿論《もちろん》、山みちに立った彼等自身も斜めに上から見おろしている。月の光の中の風景はいつか無数の男女に満ちた近代のカッフェに変ってしまう。彼等の後は楽器の森。尤《もっと》もまん中に立った彼等を始め、何《なに》も彼《か》も鱗《うろこ》のように細かい。

   45[#「45」は縦中横]

 このカッフェの内部。「さん・せばすちあん」は大勢の踊り子達にとり囲まれたまま、当惑そうにあたりを眺めている。そこへ時々降って来る花束。踊り子達は彼に酒をすすめたり、彼の頸《くび》にぶら下ったりする。が、顔をしかめた彼はどうすることも出来ないらしい。紅毛人の船長はこう云う彼の真後ろに立ち、不相変《あいかわらず》冷笑を浮べた顔を丁度半分だけ覗《のぞ》かせている。

   46[#「46」は縦中横]

 前のカッフエの床。床の上には靴をはいた足が幾つも絶えず動いている。それ等の足は又いつの間にか馬の足や鶴の足や鹿の足に変っている。

   47[#「47」は縦中横]

 前のカッフエの隅。金鈕《きんぼたん》の服を着た黒人が一人大きい太鼓を打っている。この黒人も亦いつの間にか一本の樟の木に変ってしまう。

   48[#「48」は縦中横]

 前の山みち。船長は腕を組んだまま、樟の木の根もとに気を失った「さん・せばすちあん」を見おろしている。それから彼を抱き起し、半ば彼を引きずるように向うの洞穴《ほらあな》へ登って行く。

   49[#「49」は縦中横]

 前の洞穴の内部。但し今度も外部に面している。月の光はもう落ちていない。が、彼等の帰って来た時にはおのずからあたりも薄明るくなっている。「さん・せばすちあん」は船長を捉《とら》え、もう一度熱心に話しかける。船長はやはり冷笑したきり、何とも彼の言葉に答えないらしい。が、やっと二こと三ことしゃべると、未だに薄暗い岩のかげを指さし、彼に「見ろ」と云う手真似をする。

   50[#「50」は縦中横]

 洞穴の内部の隅。顋髯《あごひげ》のある死骸《しがい》が一つ岩の壁によりかかっている。

   51[#「51」は縦中横]

 彼等の上半身《かみはんしん》。「さん・せばすちあん」は驚きや恐れを示し、船長に何か話しかける。船長は一こと返事をする。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切ろうとする。が、今度も切ることは出来ない。

   52[#「52」は縦中横]

 Judas ………

   53[#「53」は縦中横]

 前の死骸――ユダの横顔。誰かの手はこの顔を捉え、マッサァジをするように顔を撫《な》でる。すると頭は透明になり、丁度一枚の解剖図のようにありありと脳髄を露《あらわ》してしまう。脳髄は始めはぼんやりと三十枚の銀を映している。が、その上にいつの間にかそれぞれ嘲《あざけ》りや憐《あわれ》みを帯びた使徒たちの顔も映っている。のみならずそれ等の向うには家《いえ》だの、湖だの、十字架だの、猥褻《わいせつ》な形をした手だの、橄欖《かんらん》の枝だの、老人だの、――いろいろのものも映っているらしい。………

   54[#「54」は縦中
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