悠々荘
芥川龍之介

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《》:ルビ
(例)梢《こずえ》に

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(例)[#地から1字上げ](大正十五年十月二十六日・鵠沼)
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 十月のある午後、僕等三人は話し合いながら、松の中の小みちを歩いていた。小みちにはどこにも人かげはなかった。ただ時々松の梢《こずえ》に鵯《ひよどり》の声のするだけだった。
「ゴオグの死骸を載《の》せた玉突台《たまつきだい》だね、あの上では今でも玉を突いているがね。……」
 西洋から帰って来たSさんはそんなことを話して聞かせたりした。
 そのうちに僕等は薄苔《うすごけ》のついた御影石《みかげいし》の門の前へ通りかかった。石に嵌《は》めこんだ標札《ひょうさつ》には「悠々荘《ゆうゆうそう》」と書いてあった。が、門の奥にある家は、――茅葺《かやぶ》き屋根の西洋館はひっそりと硝子《ガラス》窓を鎖《とざ》していた。僕は日頃《ひごろ》この家に愛着を持たずにはいられなかった。それは一つには家自身のいかにも瀟洒《しょうしゃ》としているためだった。しかしまたそのほかにも荒廃《こうはい》を極《きわ》めたあたりの景色に――伸び放題《ほうだい》伸びた庭芝《にわしば》や水の干上《ひあが》った古池に風情《ふぜい》の多いためもない訣《わけ》ではなかった。
「一つ中へはいって見るかな。」
 僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟《はさ》んだ松の下には姫路茸《ひめじだけ》などもかすかに赤らんでいた。
「この別荘《べっそう》を持っている人も震災以来来なくなったんだね。……」
 するとT君は考え深そうに玄関前の萩《はぎ》に目をやった後《のち》、こう僕の言葉に反対した。
「いや、去年までは来ていたんだね。去年ちゃんと刈りこまなけりゃ、この萩はこうは咲くもんじゃない。」
「しかしこの芝の上を見給え。こんなに壁土《かべつち》も落ちているだろう。これは君、震災《しんさい》の時に落ちたままになっているのに違いないよ。」
 僕は実際震災のために取り返しのつかない打撃を受けた年少の実業家を想像《そうぞう》していた。それはまた木蔦《きづた》のからみついたコッテエジ風の西洋館と――殊に硝子《ガラス》窓の前に植えた棕櫚《しゅろ》や芭蕉《ばしょう》の幾株《いくかぶ》かと調和しているのに違いなかった。
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