かしT君は腰をかがめ、芝の上の土を拾いながら、もう一度僕の言葉に反対した。
「これは壁土の落ちたのじゃない。園芸用《えんげいよう》の腐蝕土《ふしょくど》だよ。しかも上等な腐蝕土だよ。」
僕等はいつか窓かけを下《おろ》した硝子窓の前に佇《たたず》んでいた。窓かけは、もちろん蝋引《ろうびき》だった。
「家《うち》の中は見えないかね。」
僕等はそんなことを話しながら、幾つかの硝子窓を覗《のぞ》いて歩いた。窓かけはどれも厳重に「悠々荘」の内部を隠していた。が、ちょうど南に向いた硝子窓の框《かまち》の上には薬壜《くすりびん》が二本並んでいた。
「ははあ、沃度剤《ヨオドざい》を使っていたな。――」
Sさんは僕等をふり返って言った。
「この別荘の主人は肺病患者《はいびょうかんじゃ》だよ。」
僕等は芒《すすき》の穂を出した中を「悠々荘」の後《うし》ろへ廻《まわ》って見た。そこにはもう赤錆《あかさび》のふいた亜鉛葺《とたんぶき》の納屋《なや》が一棟《ひとむね》あった。納屋の中にはストオヴが一つ、西洋風の机が一つ、それから頭や腕のない石膏《せっこう》の女人像《にょにんぞう》が一つあった。殊にその女人像は一面に埃《ほこり》におおわれたまま、ストオヴの前に横になっていた。
「するとその肺病患者は慰《なぐさ》みに彫刻でもやっていたのかね。」
「これもやっぱり園芸用のものだよ。頭へ蘭《らん》などを植えるものでね。……あの机やストオヴもそうだよ。この納屋は窓も硝子《ガラス》になっているから、温室の代りに使っていたんだろう。」
T君の言葉はもっともだった。現にその小さい机の上には蘭科植物《らんかしょくぶつ》を植えるのに使うコルク板の破片も載せてあった。
「おや、あの机の脚の下にヴィクトリア月経帯《げっけいたい》の缶もころがっている。」
「あれは細君の……さあ、女中のかも知れないよ。」
Sさんは、ちょっと苦笑《くしょう》して言った。
「じゃこれだけは確実だね。――この別荘の主人は肺病になって、それから園芸を楽しんでいて、……」
「それから去年あたり死んだんだろう。」
僕等はまた松の中を「悠々荘」の玄関へ引き返した。花芒《はなすすき》はいつか風立っていた。
「僕等の住むには広過ぎるが、――しかしとにかく好《い》い家《うち》だね。……」
T君は階段を上《あが》りながら、独言《ひとりごと》
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