婚が適して居り、聡明でない男女には媒酌結婚が適してゐると私は言ひたい。併し聡明といふことと、青年といふことは、多くの場合一致しないものである。だから大抵の場合、媒酌結婚で結構だと思ふ。
ホリデイ・ラブ
右は大体について言うたのであるが、無知な大人が媒酌する結婚は、聡明でない青年男女が自由結婚をするのよりも遥かに危険である。ここに無知といふのは、理解といふ言葉の意味を広義に解釈したときの無理解といふことである。即《すなは》ち現在二人が如何なる人生観を有つてゐるか、それが将来如何に変化してゆくだらうかといふ点まで考へないことである。結婚が人生の大きな時期《エポツク》を作るものであることは申すまでもない。結婚前の人物や思想といふものは、結婚によつて変ることが多く、結婚前の愛は結婚と同時になくなる、少くも変形するものである。
結婚後、湧いてくる新しい夫婦愛といふものは、人生の好伴侶として配偶者を見る愛であつて、結婚前の恋愛とは別箇のものである。私は愛の恒久性や純潔さを疑ふ。愛の変化消滅といふことについては厭世的である。恋愛の陶酔といふものが永続するとは考へられない。結婚して幻滅の悲哀
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