する水の面《おもて》に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色《けしき》もございません。殊にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数《にんず》で埋《うず》まってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居ると云うそれがそもそも途方《とほう》もない嘘のような気が致すのでございます。
「が、一時一時《いっときいっとき》と時の移って行くのも知らないように、見物は皆|片唾《かたず》を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海は益《ますます》広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車《ぎっしゃ》の数《かず》も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほど、多くなって参りました。それを見た恵印の情けなさは、大概前からの行きがかりでも、御推察が参るでございましょう。が、ここに妙な事が起ったと申しますのは、どう云うものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札《こうさつ》を打った当人でござい
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