とすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕《ゆめまくら》に立ったのだと、たちまちまたそれが町中の大《おお》評判になったではございませんか。こうなると話にも尾鰭《おひれ》がついて、やれあすこの稚児《ちご》にも竜が憑《つ》いて歌を詠んだの、やれここの巫女《かんなぎ》にも竜が現れて託宣《たくせん》をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目《ま》のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市《いち》へ売りに出ます老爺《おやじ》で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳《うねめやなぎ》の枝垂《しだ》れたあたり、建札のある堤《つつみ》の下に漫々と湛えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明《あかる》く見えたそうでございます。何分にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神《りゅうじん》の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震《どうぶる》いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり
前へ
次へ
全24ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング