竜
芥川龍之介
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)宇治《うじ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ある日一天|俄《にわか》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]
−−
一
宇治《うじ》の大納言隆国《だいなごんたかくに》「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松《まつ》ヶ枝《え》の藤《ふじ》の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反《かえ》って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部《わらんべ》たちに煽《あお》いででも貰おうか。
「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部《わらんべ》たちもその大団扇《おおうちわ》を忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆のもの、予が隆国《たかくに》じゃ。大肌ぬぎの無礼は赦《ゆる》してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼みたい事があって、わざと、この宇治の亭へ足を止めて貰うたのじゃ。と申すはこの頃ふとここへ参って、予も人並に双紙《そうし》を一つ綴ろうと思い立ったが、つらつら独り考えて見れば、生憎《あいにく》予はこれと云うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだ面倒な趣向などを凝らすのも、予のような怠けものには、何より億劫千万《おっくうせんばん》じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内裡《だいり》の内外《うちそと》ばかりうろついて居《お》る予などには、思いもよらぬ逸事《いつじ》奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶《かな》えてくれる訳には行くまいか。
「何、叶えてくれる? それは重畳《ちょうじょう》、では早速一同の話を順々にこれで聞くと致そう。
「こりゃ童部《わらんべ》たち、一座へ風が通うように、その大団扇で煽《あお》いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師《いもじ》も陶器造《すえものつくり》も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとり
次へ
全12ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング