へ参れ。鮓売《すしうり》の女も日が近くば、桶はその縁《えん》の隅へ置いたが好《よ》いぞ。わ法師も金鼓《ごんく》を外《はず》したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟《たかむしろ》を敷いたろうな。
「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造《すえものつくり》の翁《おきな》から、何なりとも話してくれい。」

        二

 翁《おきな》「これは、これは、御叮嚀な御挨拶《ごあいさつ》で、下賤《げせん》な私《わたくし》どもの申し上げます話を、一々双紙へ書いてやろうと仰有《おっしゃ》います――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐多いかわかりません。が、御辞退申しましては反《かえ》って御意《ぎょい》に逆《さから》う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖《たわい》もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業《くろうどとくごう》恵印《えいん》と申しまして、途方《とほう》もなく鼻の大きい法師《ほうし》が一人居りました。しかもその鼻の先が、まるで蜂にでも刺されたかと思うくらい、年が年中恐しくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名《あだな》をつけまして、鼻蔵《はなくら》――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業《くろうどとくごう》と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人《はなくろうど》と申し囃《はや》しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡《うた》われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺《こうふくじ》の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏《そし》られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻《てんぐばな》でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師《えいんほうし》が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢《さるさわ》の池のほとりへ参りまして、あの采女柳《うねめやなぎ》の前の堤《つつみ》へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印《えいん》は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上
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