る三月三日になってしまいました。そこで恵印は約束の手前、今更ほかに致し方もございませんから、渋々叔母の尼の伴《とも》をして、猿沢《さるさわ》の池が一目に見えるあの興福寺《こうふくじ》の南大門《なんだいもん》の石段の上へ参りました。丁度その日は空もほがらかに晴れ渡って、門の風鐸《ふうたく》を鳴らすほどの風さえ吹く気色《けしき》はございませんでしたが、それでも今日《きょう》と云う今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及ばず、河内、和泉、摂津、播磨、山城、近江、丹波の国々からも押し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路《おおじ》のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子《えぼし》の波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛《あおいとげ》だの、赤糸毛《あかいとげ》だの、あるいはまた栴檀庇《せんだんびさし》だのの数寄《すき》を凝らした牛車《ぎっしゃ》が、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形《やかた》に打った金銀の金具《かなぐ》を折からうららかな春の日ざしに、眩《まば》ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘《ひがさ》をかざすもの、平張《ひらばり》を空に張り渡すもの、あるいはまた仰々《ぎょうぎょう》しく桟敷《さじき》を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂《かも》の祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師《えいんほうし》はまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎが始まろうとは夢にも思わずに居りましたから、さも呆れ返ったように叔母の尼の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな。』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門《なんだいもん》の柱の根がたへ意気地《いくじ》なく蹲《うずくま》ってしまいました。
「けれども元より叔母の尼には、恵印のそんな腹の底が呑みこめる訳もございませんから、こちらは頭巾《ずきん》もずり落ちるほど一生懸命首を延ばして、あちらこちらを見渡しながら、成程竜神の御棲《おす》まいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神も御姿を御現わしなさるだろうのと、何かと恵印をつかまえては話しかけるのでございます
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