通りならず衰微《すゐび》してゐた。今この下人が、永年《ながねん》、使はれてゐた主人から、暇《ひま》を出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない。だから「下人が雨《あめ》やみを待つてゐた」と云《い》ふよりも、「雨にふりこめられた下人が、行《ゆ》き所《どころ》がなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當《てきたう》である。その上、今日の空模樣《そらもやう》も少からずこの平安朝《へいあんてう》の下人の Sentimentalisme に影響《えいきやう》した。申《さる》の刻下りからふり出した雨は、未に上《あが》るけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當《さしあた》り明日の暮《くら》しをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事《こと》を、どうにかしようとして、とりとめもない考《かんが》へをたどりながら、さつきから朱雀大路《すじやくおはぢ》にふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。
 雨は、羅生門《らしやうもん》をつゝんで、遠《とほ》くから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上《みあ》げると、門の屋根が、斜につき出した甍《いらか》[#「甍」は底本では「薨」
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