なかつたなら、今でも賣りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女《をんな》の賣る干魚は、味《あぢ》がよいと云ふので、太刀帶たちが、缺かさず菜料《さいれう》に買つてゐたのである。自分は、この女のした事が惡《わる》いとは思はない。しなければ、饑死《うゑじに》をするので、仕方《しかた》がなくした事だからである。だから、又今、自分《じぶん》のしてゐた事も惡い事とは思《おも》はない。これもやはりしなければ、饑死《うゑじに》をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、自分のする事を許《ゆる》してくれるのにちがひないと思《おも》ふからである。――老婆は、大體こんな意味の事を云つた。
下人は、太刀を鞘《さや》におさめて、その太刀の柄を左《ひだり》の手《て》でおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右《みぎ》の手《て》では、赤く頬《ほゝ》に膿《うみ》を持つた大きな面皰を氣《き》にしながら、聞いてゐるのである。しかし、之を聞《き》いてゐる中に、下人の心には、或《ある》勇氣《ゆうき》が生まれて來た。それは、さつき、門《もん》の下《した》でこの
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング